9月にはいったとたんのこの涼しさ。風鈴が申し訳なさそうに鳴っている。そろそろしまわないといけないかな。
雨が降ったりやんだりで、ゴム段遊びの女の子たちの声はマンションの廊下から響いてくる。2年生くらいの、ちょっとおしゃまな三人組だ。女の子の声は、いいな。きらきらと弾んだかと思うと、まあるく密やかな内緒話の声になり、またはじけて追いかけ合う。
きょうは聞こえてこないが、幼い男の子の声も、なかなかいい。幼稚園の年長さんくらいの子供が、大人ぶって「オレ」と言う。けれど、そのイントネーションが「ぼく」と同じで微笑ましい。「オ」に妙に力が入ってしまう。「オレな、きょう、○○のカードもらったんだぜ」。濁りのない、よく通る声。
ただしこれが声変わりに差しかかると、ちょっと辛いものがある。たまに、マンション前の道路でボールを蹴って遊んでいる中学生がいるのだけれど、あの中途半端なかすれ声にはおばさん、そっと窓を閉めてしまうんだ。ごめんね、本人たちにも辛い季節だろうとは思うんだけど。元気なのはたいへんよろしいぞ。
腹の中の人の性別は、やっぱり気になる。
女きょうだいで育ち、女子校生活が長かったわたしには、「男の子がうちにいる」ということがまったく想像できない。ベビー用品店へ行っても、自然と女の子を想定して商品を見てしまう。名づけ候補に挙げた名は、圧倒的に女児名が多い。戌の日に母からもらったベビー靴を見て、夫がぽつりと呟いた。「お義母さん、やっぱり女の子だと思ってるよね」。気がつかなかった。言われてみればたしかにその通り、この靴は女の子のほうが似合いそう。そんなことに思い至らないくらい、無意識に「女の子」だと思いこんでいる。
ねえ、中の人。どっちなんだい? と腹をさすって声をかけてはみる。けれどわたしは、まだそれをはっきり知りたくないような気もしている。気になっているのに、知りたくない。フクザツだな。
知りたくない理由は、おもにふたつ。
ひとつは、シチュエーションへの憧れ(類似記事はこちら)。わたしはどうもこういう馬鹿なところに拘泥するきらいがある。うんうん頑張って産んで、放心状態のところに「おめでとうございます、元気な○の子ですよ」と声をかけられて涙する、というあれ。やってみたかったんだ、すごく。
もうひとつは、知らないほうが二倍楽しめそうな気がするからだ。「男の子だったら」ああしよう、「女の子だったら」こうしよう。子供と三人で出会ういろんなことを想像するのに、両方の場合を考えるのはとても楽しい。そりゃ、どちらかわかっていればより具体的に準備もできようが、これまで出たとこ勝負に生きてきたわたしだから、産まれてからでもなんとでもなると思っている。それより、楽しみ二倍のほうがいい。
夫は、どうだろう。早く知りたいんだろか。次の健診は4週間後。それまでに合意をしておかなければいかんね。
※「知る楽しみ」「知ることを先にとっておく楽しみ」をご存じのうららさんへトラックバック。「どっちかな」のわくわくを長く味わいたい、お仲間です。
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