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2006.08.31

妊娠19週2日、健診。

これまでの記録をさぼったまま、何事もなかったかのように、きょうの健診の報告を書くのである。こういうことはすぐにやらないと結局、延ばしのばしでいい加減なことにしてしまう。これまでの数々の所業を深く反省しつつ、とりあえずはきょうの話。

この病院では、安定期に入ると助産師による健診が行われる。きょうはわたしにとって初の助産師外来。

ネットでの評判通り、助産師さんはものすごく親切だった。話をよーく聞いてくれる。こんなにじっくり話をして大丈夫なんだろかと思うほどで、まあそれなりに予約の時間はおしていた。2時半の予約が、3時半にようやく順番が回ってきた。妊婦さんはみんな、不安なんだ。だれかに話を聞いてもらいたいものなんだ。お互い様、とわたしは思うが(不妊治療のクリニックのおかげで病院で待つのにはすっかり慣れてしまったのもある)、そうでない人にはこの待ち時間は苦痛かもしれない。

頻尿と便秘に困っていることを告げ、食生活のアドバイスを受けてから、台に横になる。仰向けに寝て腹を出し、腹囲と子宮底長をはかってもらう。

・腹囲……73.5cm
・子宮底長……19cm

腹囲とはすなわちウエストである。と書きながら、こりゃあウエストの数字じゃないよなあと自分でツッコミたくなる。73.5センチ。嗚呼、わたしのくびれはいずこ。子宮底長のほうは、へそから陰毛の生えるぎりぎりくらいのところまでを計っていた。おなかの出っ張り具合を見てるんだな、きっと。手元の資料を見ると標準は「19週〜22週で18〜21センチ」とあるので、だいたいよさそうな数字。

そして、次がきょうのいちばんうれしかったこと。赤ん坊の心音を聞かせてもらったのだ。これまでの診察では、ひょこひょこ動く心臓は見たが、音を聞いたことがなかった。

心音を聞くのには、聴診器にはあまり似ていない機械を使っていた。長さ18センチ、直径3センチほどのマイクのようなのをおなかにあてる。音はそこからつながっているラジオのような機械から聞こえてくるしかけだ。

心音は、たとえるなら、電車の走る音。「カタコン、カタコン、カタコン、カタコン」という、ちょっと早めの規則的な音がする。おお。生きている。生きているぞ。ちょっとすると赤ん坊が動いていってしまって、違う音になる。「ザザー、ザザー」というテレビの砂嵐に似た音。これは、臍帯を通る血の音だそうな。うーん、おもしろい。

ふくれた腹を突きだして天井を眺めながら、ハハはしばし喜びにひたった。「うれしいもんですね」と助産師さんと目を合わせて笑ったとたんに、下っ腹に激痛が走った。動けなくなった。息をするのもひびく。腹の皮がつったみたいな痛みである。

急遽医師に診てもらうことになり、出血がないか、子宮口が開いていないか、確認した。結果、それらは問題なく、この痛みは腹の靱帯の痙攣であろうということになった。子宮を支える靱帯についてはこのページが見やすい。痙攣の原因は、わからない。強いて言えば子宮が大きくなったことが原因だそうだから、予防も治療もありえない。今後もたびたび起きてあんまり痛いような場合は痛み止めを処方する、とのことだった。

いや、しばらく休んだらけろりと治ったので薬は必要ないと思うが、なにしろ経験のない痛みなので心臓に悪い。赤ん坊がもう出たがっているのか、とどきどきした。そうはならないようでほっとしたが、人騒がせな靱帯だ。

そういえば、左膝の靱帯は8月に入ってようやく正座をしても痛まなくなってきた。靱帯だなんてふだんは意識をしたこともないような組織が、どうしてこの短期間に騒ぎ出すのか。妙にくやしいぞ。

まあしかし、思わぬハプニングのおかげで超音波で見てもらえた。助産師外来では、心音を聞くところまででおしまいの予定だったのだ。エコーの結果でひとつ気になる点。胎盤が、ちょっと下のほうにあるのだそうだ。まだこれから位置が変わる可能性が高いからすぐに前置胎盤というわけじゃないけれど、とのこと。むーん、できればふつうに産みたいんだけどな。胎盤よ、動いておくれ。

そんなこんなで病院を出たときには5時を過ぎていた。2時に受付をしてから3時間。まあ、仕方ないな。
会計は6500円。

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2006.08.30

最後の仕事。

ずいぶん長く関わっている本の原稿が、出産ぎりぎりまでかかりそうな気配である。現時点では、7割ほどできあがっている。一度通して書き上げたものを、もう一度最初から見直すという作業をやっているところだ。もし切迫早産で入院・安静などという事態になったときには、とりあえずの時点までのデータを渡すということで編集さんに話をつけてある。でも、できれば、いや、なにがなんでも、自分の手で最後までやりたい。これが母になる前の最後の仕事だから、きっちり片を付けてから産まにゃあな。

そのためには。
もっと集中してやろうよね、あたし。
ほら、仕事仕事。

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びっくり乳輪。

妊婦のおっぱいは、張ったり増えたりするだけではなかった。まだまだ日々、変化している。

妊娠前のおっぱいが

( ・ 人 ・ )

これだとすると、妊娠19週のわたしのおっぱいは、

( ● 人 ● )

こんな感じ。
乳房が大きくなるにつれ、乳輪も大きく、そして、より黒くなった。いやあすごいすごい。

洗面所の電気をつけずに鏡にうつるのを見ると、得体の知れない怪物がぎょろりと目を剥いているようで、我が乳ながらおそろしい。赤ん坊はこわくないんだろうか。

ところでブリトニー・スピアーズのこの写真、どうしてこんなんで乳輪を隠しきれているのだろう。わたしのは、とてもとても。白人の乳輪も、やっぱり黒くなるのかしらん。黒人の場合は?

いや、そんなことはどうでもいいんだった。わたしのこれ、授乳が終わったらちゃんと直るんだろか。元通りにとは望まないけど、せめて、もう少し見目よくなってくれないかな。女として、ちょっとばかり、傷心なんである。

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夏の終り。

ミンミンゼミが鳴いて、風鈴がちろりんと鳴って、でも雨がしとしと降ってて、風がこれまでになく涼しくて。夏のかけらがそこここにあるのに、やっぱりそれはかけらでしかない。

今年いちばんの思い出は、汗だらだらになりながら松風に吹かれて食べたかき氷。来年の今頃は、三人家族だ。

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2006.08.29

妊婦のおやつ。

19週に入った。このところようやく体重管理が軌道に乗ってきた。食べつわりのころからこれまで、長い道のりでありました。出産までのあと半分、なんとかこれ以上急激に体重を増やさないようがんばらねば。

便秘は、相変わらずではある。ちょっと気を抜くとぴったり出なくなる。が、手元に医者が処方した便秘薬がある、という安心感もあってか、以前ほど深刻な事態にはならないで済んでいる。

そんなわたしがこの頃毎日食べているおやつは、寒天のプルーンソースがけ。

砂糖もなにも入れずに固めた素寒天を角切りにし、ファンケルのプルーンエキスをスプーン1杯かけて食す。どう見ても黒蜜にしか見えないのに違う味がする、というのがなかなか新鮮。カロリーが低いわりには鉄分の補給にもなりおなかも満足する。

言うまでもなく便秘対策メニューとして考案したのだけれど、じつはこっちにはあんまり効いてはいない。コメント欄で何人かの方から「プルーンが効く」と教えていただいたが、わたしの腹にはプルーン、効かないみたいなのだ。残念。妹もそうなので、体質によるものらしい。乾燥プルーンを試したときもだめだった。もしかしたらエキスならいけるかも、と思って買ってみたのだけれどやっぱりおなかは変わらない。まあ期待は半分くらいだったから、そうがっかりはしなかった。なにより、おいしいのでじゅうぶんに気に入っている。

ああ、でも。
かために作った寒天をぽりぽりとかんでいると、無性に梅むらの豆かんが食べたくなってくる。困った。

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たぶんわたしの親も画数を考えてはいないはずだ。

以前、名づけ無法時代という記事を書いた。そのころはまだひとごとだったが、いざ自分の子の名を考えるとなるとやはりなかなか大変なものだと思う。いくつか候補は挙げたが、どれも捨てがたくて困る。まだ5か月あるからじっくり考えればいいのだけれど、このごろ何を見ても人の名前ばかりが気にかかる。ニュースの内容は覚えていなくても、コメントしていた大学教授の名前はメモしてあったりする。

名づけ相談の掲示板をのぞいて驚いた。画数を気にする人ってものすごく多いんだね。ほとんどの相談者がわたしよりも年下であろうサイトで、「この読みの漢字で○画のものはありませんか」「この名前がよかったんですが画数が悪くて……」などと真剣に書きこんでいる。

わたしは、姓名判断というものを信じていない。ネット上の無料診断をやったこともあるが、あくまで遊びである。まさか自分の子供の名前をそれによって決めようとは思わない。だいたい、そんなもので「運命」とやらが左右されてはたまらない。画数で名前を決めるというのは血液型で結婚相手を決めるのと同じくらい、わたしにとっては意味がないのだ。「大好きなあの人だけど、AB型だから結婚はやめたの」っていうのとたいして変わらない。

意味がある人にとっては、重大事なんだろう。それをとやかく言うつもりはない。信じるものが、あなたとわたしとで違うという、それだけのこと。

しかし、世の中にこんなに姓名判断を信じている人がたくさんいるとは知らなかった。子供を産むということは、いろんなことに目を開かされる体験なんだな。だれもが子供のために真剣になるから、ふだんは隠れていて見えないような価値観までが露わになる。興味深いことはこれからもたくさんありそうだ。

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2006.08.28

モーツァルトじゃなくったっていいじゃない。

胎児が自己主張をはじめたようなので、そろそろいいもんを聴かせてやろうと思い立つ。

胎教といっても、最近ものの本には「とくにクラシックでなくてもいい」と書いてある。好きなジャンルの音楽で、心おだやかに過ごすのがよろしいそうである。好きな音楽、か。

わたしは日頃、ほとんど無音のなかで過ごす。音楽がなくても生きていけるだろうと思っているのだが、聴くとすればフュージョンが好きだ。学生時代にやっていたのはスクエアなんかのコピーバンドである。しかしここ数年新しいCDを買っていないので、持っているものはすっかり聞き飽きてしまった。

夫が家にいる間は始終ビートルズがかかっている。最近は、スタジオで録音した自分たちの演奏をチェックすることが多いので、本物と素人コピーとが半々くらいの割合だ。「これがお父ちゃんの演奏だよ」と腹に聴かせるのもよろしいだろうが、生まれたての赤ん坊が七歩あゆんで空と大地を指さし「アホな放尿はーん」(I WANNA HOLD YOUR HAND)とか歌っちゃったら困るので、ほどほどにしたほうがいい。

で、CDを買いに行った。いろいろ考えたけどやっぱり、音の強弱があって耳に楽しく、腹にも楽しそうなクラシックがいい。

クラシックの棚の前に行くと、マタニティ向けに編集された盤がいくつもある。生誕250年ということもあり、やはり中心はモーツァルトの可愛らしい曲を集めたものであるようだ。うーん、こういうのも悪くはないだろうけど。

しばらく悩んで「マタニティ」とついているのはやめた。選んだのは、「フィンランディア」「モルダウ」「新世界より」。はっはっはっ。ミーハーというか、派手好きというか。

わたしは、バイオリンぴらぴらの曲よりも、金管楽器がんがん、ティンパニーどがんどがんの勇ましい曲が好きなのだ。弦楽四重奏よりも、フルオーケストラ。「がんがん行けえっ!」って髪振り乱して指揮するようなやつ。よっしゃ金管もっと出せー! 太鼓が足りんぞぶち鳴らせー! みたいなの。

見守っていた夫に選んだCDを見せつつそう話したら、夫は無言で「四季」を棚からとり、すがるような目でわたしの選んだものの上に重ねた。気持はわからないではない。なんのための胎教か。そうだね。あんまり勇ましいのばかりでは、赤ん坊が興奮しすぎて早く生まれ出てしまうかもしれない。おだやかに「春」でも聴きながら、小鳥のような可憐な赤子が生まれることを祈る時間があってもいい。

ついでに「冥王星入り」の「惑星」がどーんと積んであったのに心ひかれたが、やめておいた。これにはとくに理由はない。でもそういえば「冥王星」って聴いたことなかった。たぶんこれからは演奏される機会も少なくなるんだろうし、ましてや録音されることはほとんどなくなるんだろう。気の毒な曲ではあるが、わたしはその作曲者の名前も知らないのだった。

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2006.08.27

これが、胎動?

8月26日、妊娠18w4d、午後10時20分ころ。
夕方からのバンド練習に出かけた夫の帰りを待ちつつ、ちょっとうとうとしようかとソファに横になっていたらなんだか腹がぽこぽこする。じつは同じようなぽこぽこは2、3日前から感じていたのだけれど、慢性化しつつある便秘のこともあり、腸が動いてるもんだと思っていた。

横になったままスカートをまくりあげ、デカパンのなかの腹を両手でつつんでから、「動いてるの?」と声をかけてみた。ぽこん、と動いたそれは、なんとなく腸じゃない気がした。ガスだったら、腸に沿って横に動く。けれどこのぽこんは、おなかの中心から外に向かう方向で動いた。場所は、へそから5センチほど下、ちょっと右よりのところ。

よしっ、これはきっと胎動に違いない。と、決めつける。もし違ったとしても、わたしがそう思うのだからそれでいい。決めたとたんに、うれしくなって心臓がどきどきしてきた。もう一度ぽこんを感じたいのに、腹から伝わってくるのは自分の脈ばかりだ。うるさいぞ、心臓ちょっと止まっておれ。

それでもなんとか、10分ほどのあいだ不規則にぽこぽこいうのを感じとることができた。「お父ちゃん、遅いねえ」と声をかけたら、ぱったり静かになった。寝てしまったのか。「せっかく、触らせてあげようと思ったのにね」とまた声に出して言ってみる。

しかし。ものの本には、「両手をあわせた中で小鳥が動くような感じ」と書かれている胎動だが、ちっともそんな詩的なものではない。喩えるなら、やっぱりおならだろうか。むーん、うつくしくなくてごめんな、我が子よ。もうちょっと動いてくれたら、もっとましな喩えを考えてみるよ。さ、動け動け。

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2006.08.26

ちょっとわかったいらいらの理由。

妊娠5か月に入ってからのこのいらいらそわそわのわけが、通販雑誌をめくっているうちにわかってきた。なんのことはない、わたしの貧乏性、である。

どうも、「お金を使わねばならない」というときに「でももったいない」というブレーキが利きすぎるようなのだ。結婚してから7年経つが、これまでにも同じような葛藤が大きく3回ほどあった。

1回目は結婚してすぐ。その頃はわたしもフルタイムで勤めていたから、日常の食糧の買い出しは週に1回、夫とふたりで近所のスーパーで済ませていた。夫は独身時代の癖で、1人前の材料しかかごに入れない。わたしはそれを知っていながら、自分が食べる分を追加することができなかった。ちゃんとお給料から生活費入れていたのに。昼は会社で食べるからいいとして、夜もなるべく外で食べるようにした。もちろん自分の小遣いでだ。家に帰ってからは一人分の夕食を用意して、夫に食べさせる。しばらくそんな生活をしていたら貯金と情緒が破綻して、夫婦げんかになった。

2回目は会社を辞めたとき。自分で稼ぐお金が極端に少なくなった。稼いだぶんはまるまる小遣いにしてもらったが、収入がないときだってある。そんなとき、わたしは本の一冊、下着の一枚も買うことができず、鬱憤を募らせた。

3回目は、不妊治療のときだ。これはもう否応なく出ていくお金だから仕方ないにしても、罪悪感は消えない。自分の小遣いは極力切りつめた。けれど、そんななかで夫が高額なギターを買っているのを見ればやはりどす黒い気持になった。

夫から見ればわけのわからない葛藤なのだろうとは思う。夫は真面目に働き、じゅうぶんに稼いでくれる。そのうえ、大きな額ではないが株を運用して自主的なボーナスまでひねり出してくれる。いつも「自由に使っていいんだよ」と言ってくれるし、そもそもわたしの性格上そんなに派手に使うあてがないから家計を任されてもいるのだ。なのに、勝手に縮こまって、勝手にみみっちくなり、勝手にいらいらしている。

「自分の自由になるお金」=「自分で稼いだお金」という思い込みが強すぎるのかもしれない。母は完全な専業主婦だったし、それを見て育った妹も専業主婦たることになんの疑問も持たずに消費に励んでいる。それは、けして悪いことではない。当たり前のことだ。じゅうじゅう、理解しているつもりである。なのに、いざ自分が財布を持たされると、不必要な節制をしてしまうのだ。いったい、いつどうしてこんな思い込みができあがったものだろう。

思い当たる節もないではない。夫の先妻については断片的に聞くのみでほとんどがぼやけた印象しかないのだが、どうも派手なお金の使い方をする人だったらしい。夫はそんなことをわたしにぐちぐち言うような腐れた男ではないから、ちらりと聞いただけのことではある。妻の金遣いについてうるさかったのは、わたしの死んだ父だ。わたしのひいき目ではなく母は立派な倹約家であるのに、始終家計のことで言い争っていた。夫の先妻のことと父の小言の思い出とが、妙な具合に混ざり合い、わたしの頭の中で発酵したのかもしれない。

まあ、いい。根っこはともかくとして、現在のわたしはこんなふうにお金に囚われてしまっている。

マタニティという期間は、あと数か月で終わってしまう。こんな短い期間のもの、とくに洋服を買うのがもったいない。けれど、もうじき、いま持っている服はほとんど着られなくなる。なにか買わなければ外にも出られない。でも……これが、わたしのいらいらの原因のうち、ずいぶん大きな部分を占めているのだと気がついたのだった。

「もったいない」の裏に、それでもやはり女であるから、「マタニティ期間を楽しまなくちゃ」という気分がある。いまどきの妊婦服は、かつてのそれとはずいぶん様相が違っておしゃれなものが多い。いくら高齢出産とはいえ、そういうのだってちょっとは着てみたいしさ。

ああ。書いていて自分の浅ましさが情けない。涙が出そうだ。

うじうじ言うくらいならきっぱり諦めなさい。
でも、必要なんでしょう? だったら買うしかないじゃない。
馬鹿かあんたは。

馬鹿だ。わたしは。

でも、書いてみたおかげでちょっとすっきりした、かな? 
もうすこしのたうち回ると、消費を楽しめるようになれそうな気がする。よし。付箋を用意してもう一度カタログチェックだ。

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ちょいと夫よ。

基本的には、いい夫なんである。でも。

結婚記念日の翌日にライブの予定を入れたくせに。それに向けた練習のために毎週土曜日は3時間もスタジオに入るくせに。スタジオは川口だから行き帰りと前後の談笑タイムで日中まるまるつぶすくせに。

あたしがちょっと「ねえねえ、こんど船橋のイケア連れてって」と頼んだら即答で「やだ」とはなにごとぞ。

なにも自分の買い物がしたいんじゃない。赤ん坊のためのいろいろを見に行こうと思っているんじゃないか。900円のベビーバスなんてほかじゃあないよ。カエルのクッション、これがあったらきっと赤ちゃんはしあわせだ。ベビー用品じゃないけど、79円のグラスだって欲しいじゃないか。ボールなんか50円だってよ。イケアの雑貨は安くてかわいいんだから。(船橋往復のガソリン代? なあにそれ)

妊婦を悲しませるとどうなるかわかってるか? いや、わたしもよくわからないけど、きっと赤ん坊だって悲しいに違いないよ。ちくしょう、泣いてやる。

書いてるうちにまた悔しくなってきたので、そこで寝てる夫のふくらはぎあたりを蹴飛ばしてみた。起きない。なんだかもっと悔しくなってきたぞ。ここんとこ、やたらとのどが渇いて目が覚める。トイレも相変わらず近いから、2時に就寝して6時に起きるまで2〜3回起き出しているのだ。ツマはこんなに熟睡と縁遠い生活をしているというのに。

いいもん。胎動があっても、おなか触らせてあげない。
ふーんだ。

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2006.08.25

主婦友とかママ友とかいうおつきあい。

ご近所づきあいは、ふつうにしているほうだと思う。とは言っても現代のご近所さんであるから、マンション内で顔をあわせたときに「暑いですねえ」「お出かけですか、お気をつけて行ってらっしゃい」なんて挨拶をする程度ではある。どこでもこんなもんじゃないかな。

しかしこれが子持ちになると、もう少し親密なおつきあいが発生する。子供の遊び相手が必要だし、幼稚園や学校へ上がったりすると否応なくお母さん同士の行き来が生まれる。

そりゃそうだな。まあ、それなりに社会人生活を送ってきたのだし、仕事のつきあいとたいして変わらんだろう、どんと来い、と思っていたのだが、ネットを巡るうちになんだかあやしい雲行きを察知してしまった。どうやら、主婦同士、ママ同士のつきあいというのは、もっとどろどろディープな世界らしいのだ。ネット上の掲示板のお悩み相談なんかを見ていると空恐ろしくなってくる。

たとえば。

「子供を産んでからいまの土地に引っ越してきて、それなりにとけ込んだと思っていたのですが、ある日夫の職業を聞かれて勤務医だと答えたら、引かれてしまって。それ以来、挨拶をしても返事もしてもらえません。どうしたらいいでしょう」

「子供を産んで退職したのですが、お母さん友達に前職を聞かれて困っています。教師だったことは隠しておいたほうがいいでしょうか」

「ご近所さんからのお下がりで使っていたベビーカーが壊れたので買い換えました。新しいベビーカーでお散歩に行ったとき、ばったりその人に会ってしまいました。そのときは何事もなく別れたのですが、後日、別のママ友から注意されました。買い換えるときにはちゃんと挨拶をしなければいけなかったようです。お詫びに菓子折とかって必要でしょうか」

「息子の保育園グッズを手作りしたら、お友達のお母さんから『同じもの作って』としつこく頼まれて困っています。こちらも仕事で忙しいので曖昧に濁していたら、先日とうとう生地を持って現れました。でも、通園バッグを作るのに端切ればかりを寄せ集めて持ってこられても困るんです。角が立たない断り方、ありませんか」

……。

思わず言葉をなくすほどの惨状ではないか。懐かしの中学時代、いや、小学校時代を思い出してしまった。「○○ちゃんなんか絶交だからね!」とか言ってたあのころ。ねえ。女って、いや主婦って、いや、ママって、こんなんでやっていけるの? や、違うな。こんなんを我慢しなければやっていけないの?

高齢出産のわたしである。若いお母さんたちと馴染むのに、同年代のお母さんよりは時間がかかるかもしれない。そういう心配はあったけれど、まさかこんな幼稚なもめごとが待ち受けていようとは思わなんだ。

36歳、結婚7年にして知る主婦の世界の恐ろしさ。これまでのほほんとやってこられたのは、しあわせだった。ま、事前に知っておいて損はないか。なんも知らずにのこのこ入っていくよりもいくらかマシであろう。うちのご近所にはどんな主婦の花園が待ち受けているのか。ぞくぞくしながら、飛びこんでみましょうか。ひとつ、よろしく。

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2006.08.22

妊娠線を予防したい、けど。

きょうで18週に入った。これまでは「あら、便秘ひどいのねえ」くらいの大きさだったおなかも、妊婦らしくなってきた。

そろそろ妊娠線予防のケアをしたほうがいいらしい。妊娠線とは、急激に大きくなるおなかに耐えきれず、皮膚の内部(皮下組織)に縦方向の亀裂が入るものだ。表面からは赤紫色のぎざぎざした線に見える。時間が経つと白っぽく変化するが、完全に消すことは難しいらしい。急に太った人の太ももや膝の裏にできる肉割れに似ている。

これを予防するには皮膚に水分を補ってやわらかく保つことが肝心という。専用の保湿&マッサージクリームやジェルがいくつも出ている。しかし、100%予防することは不可能だそうだ。どんなに高価なものを使っても、できるときはできる。ほとんどケアしなくても、できない人はできない。そういうものだ。

もともとこういうことにはあまりマメでない女である。顔の皮膚だって年がら年中化粧水1本で済ませているほどだから、腹の皮膚など毎夜揉みほぐすはずがない。しかも、どんなに頑張っても確実に予防できるとは限らないと知ってしまった。
ならいいさ、賭で。

というわけでわたしが選んだケアは、これ。
顔につけている化粧水を腹にも塗る。
以上。

ムボーだろうか。いや、これ以上のことはできまい。そうだ、ロクシタンのハンドクリームがあるから、寝る前は化粧水の上にのばしてみてもいいな。覚えていればね。

ちなみに、化粧水は超シンプルスキンケアで知られるカツウラのAシリーズ、しっとりタイプを使っている。これはほんとうにしっとり気持がいい。真冬でもわたしの頬はこの化粧水のおかげでぷるぷるなんである。腹にも、どうにか効いてくれるとありがたい。

*「妊娠線予防」で検索してお見えになった皆様。役に立たない記事で申し訳ありません。大丈夫かとは思いますが一応念を押しておきます。けっして、真似をなさらないでくださいましね。

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2006.08.21

いらいらそわそわ。

いけない。どうしたことだろう。情緒がとても不安定。

不安と焦りと、いらだちともどかしさとが交互にやってきてわたしを突き動かす。いたたまれない、やりきれない。

友人にハガキを出しに行くついでに本屋でマタニティ&ベビー用品の通販カタログを2冊買いこむ。それらをろくに見もしないうちに、通販サイトの会員登録を3件して、4冊のカタログを請求する。マタニティウェアのページを眺めているとなんだか絶望的な気分になってきて泣きたくなる。仕事なんてもちろん手に着かない。原稿のファイルを開くこともできなかった。

どうしたんだ、わたし。ホルモンが、いけないの? わたしのなかの「妊娠」が、こんな気分にさせているの? いつまで続くんだろう、これは。明日の朝になったらすっきりさっぱりいつものわたしに戻っていますように。頼むよ、ほんと。

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好きになれない言葉。

そろそろ赤ん坊のための買い物を、とまずはネットで情報収集をはじめる。

ちょっとまえに川越のベビーザらスを偵察してきたのだが、アイテム数の多さと商魂のたくましさに目が回って早々に退散してしまったのだった。それに、使ったことがないものばかりだからなにがいいんだか皆目見当がつかない。「ほんとうに使うもの」「使いやすいもの」は口コミで探すのが一番と考えた。

そんなわけで「ママ」の集まる掲示板をいくつか巡ってみたのだが、こんどはつまらない情報の多さに辟易した。いや、もちろん役に立つ意見もときどきは見られる。けれど、その1個の玉を見出すためにかき分ける石の量が多すぎる。

女とは、——ふだんはこういう括りを極力しないようにしているのだけどきょうばかりは言わせてもらう——どうしてこうも、でしゃばりなのだ。会話には「流れ」というものがある。掲示板だって同じことだ。一週間も前に終わった話題を蒸し返されると流れが変わってしまう。「遅レスですみません」とつければいいってもんじゃない。わざわざ断りを入れてまで書くわりには、内容は他の人が書いたことの繰り返しだったりする。彼女は、どうしても「私の場合は……」が言いたいだけなのだ。

こんなのはほんの一例だ。ほかには、本筋じゃないところにいつまでも拘泥する奥さんや、自分の意見がほんのすこし否定されたとたんにキレて荒らしに転向するお母さんなど。まったくもって、くだらない。

2ちゃんねるの育児板ならそういうこともなかろうか、とやや期待をもって覗いてみたところが、やはりおんなじだった。むしろ上記のべたべたさに匿名の持つ攻撃性が加わって、もっとたちが悪い。

さてこれは育児板に限ったことではないが、2ちゃんねるでは独特の隠語がよく使われていて、仲間意識を高めるために役立っている。わたしはそれを否定するものではない。どちらかというとその機能性には感心するほどだ。

しかし育児板で見かけたもののなかに、どうしても好きになれないのがいくつかあったのでメモしておく。育児板が発祥というわけではない言葉も含まれるかもしれない。わたしがそこで初めて見たというだけで、世間一般で行われているということもあるだろう。そのあたり、ご存じでしたらご指摘ください。

===

・ギャン泣き

「ギャンギャン泣く」を縮めたものと思われる。「ベビカに乗せようとしたら赤がギャン泣きして」というように使う(ベビカ=ベビーカー、赤=赤ちゃん)。字面も響きも、どうも好きになれない。嫌なものを見てしまった、という気分にさせられる。

便利な略語ではある。「大泣き」よりも切迫感がある。赤ん坊の真っ赤な顔や、その場のいたたまれなさまで伝わってくるような響きだ。けれど、好きにはなれない。この「嫌さ」を筋道立てて説明することはできない。感覚的に、「嫌」なんである。

・ウト、ウトメ

「舅」と「姑」のことらしい。共通する「シュ」の部分を略したもの。「ウトメ」は「トメ」とも書かれる。

わたしはウトだのウトメだのに煩わされることのない幸運な結婚生活をしているので、この言葉を使って憂さ晴らしをする人々をどうこう言えた義理ではないし、はなからそんなつもりは毛頭ない。ただ、この略語が嫌いなだけだ。

ただの略語ではあるが、隠語らしい隠語でもある。これだけ見ても、なんのことだかすぐにはわかりにくい。もとの言葉との距離が大きいから、使う際の気持の負担が軽くなるという効能がありそうだ。けれどわたしは、このくぐもった響きが気に入らない。

===

ほかには「アプ(=アップリカ)」「マク(=マクラーレン)」などの略語がいやんな感じ。

2ちゃんねる育児板には、親切な人がたくさんいる。自分の体験が人のために役立つのなら、という気持はすばらしい。子育てという、人生のなかでももっとも目まぐるしい時期をともに生きている人たちの、切実な情報交換の場でもある。

なのに、言葉にひっかかって進めないわたしにとっては、じつにじつに、居心地の悪い場なのである。ああ。わたしはずいぶん損な生き方をしている。

半日ほどネットを徘徊して疲れ果た。情報を選り分ける前に、収集の時点で諦めた。もう、いい。どうせ最低限の買い物しかしないつもりなんだし、自分の直感を信じよう。少々使いにくいものを買ったって、赤ん坊の生き死にに関わるわけでもなかろう。堪え性のない母を、ゆるしておくれ。

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2006.08.18

爆発!

塩素漂白が好きである。環境のことを考えると堂々と言うべきことじゃあないな。ふだんは石鹸と重曹とクエン酸使ってるので許してください。

数か月に1度、茶渋やらなんやらを落とすために、ガラスのコップやマグカップ、コーヒーサーバなどを漂白剤に漬けている。日頃よくよく洗っていても細かい傷のところに入り込んだ汚れは気付かぬうちに溜まるもので、漂白上がりのあのつるんとした透明感はやっぱりいい。たいてい、原稿仕事がたまってるようなときにやる。現実逃避の一環である。

この日、コーヒーサーバを3つ、漂白した。どれも耐熱ガラス製で、底の径が14センチほどのもの×1、8センチほどのもの×2である。「コーヒーサーバ」とはいえ、大きいほうはやかん代わりに湯を沸かすのに使っている。小さいほうのひとつは、ほうじ茶や緑茶用の急須代わり、最後のひとつがコーヒー専用だ。

しばらく置いて、流水ですすぐ。ああ、美しい。この、水に溶けて流れていってしまいそうな透明感。いいわあ、とうっとりしてから、漂白剤が残っていないかどうかにおいを嗅ぐ。うん、いいでしょう。では、さっそくお茶でもいれましょうか。

と、いつもは大きいほうで沸かすのだが、一人分なので小さいほうに浄水をくみ、火にかけた。3口ある五徳のうち、いちばん小さいところがちょうどいい。炎は2センチほどの中火。理由はないが、コーヒーサーバのふたはしなかった。

もうじき沸くかな、というころ、携帯のメール着信が鳴ったので火を気にしながらも台所を離れた。とたん、背中で「ぼんっ」という爆発音。

え?
慌てて戻ると、コンロの周りが水浸しになっている。コンロの真上にある換気扇のフィルターからぼたぼたと水が垂れてくる。コーヒーサーバは無事。しかし中身を見れば、7分目くらいまで水を入れていたはずなのに、ほとんど無くなっている。水が、爆発したのだ。

へっぴり腰で火を止め、おそるおそる事後処理を開始。マグカップ2杯分くらいの熱湯が飛び散っただけなのだが、わけがわからず拭き掃除をするわたしには水道管が破裂したほどの精神的ダメージがあった。なんでなんでなんで?

そばにいなくてよかった、とほっと一息ついたのは、すっかりきれいになって(熱湯をかぶったところを拭いたものだから辺りが妙にきれいになった)、冷たい麦茶をがぶりと飲んでからのこと。そして原因を探るべくネットで検索してみたが、どうもよくわからない。わたしの化学や物理の知識など、そこらの中学1年生に軽く負けるほどなのだ。

おそらく、塩素がすっかりすすぎきれていなかったのだろう。そこへ、水を入れて火にかけたものだから、水素だか酸素だかが反応して、なんだか知らないけど圧力がかかって、爆発した……? うむうわからない。どうして、爆発しちゃったんだ。

賢明なる読者様には、おわかりだろうか。ガラスに塩素が付着している状態で水を入れて火にかけると、なぜ爆発するのか。ぜひとも、お教えください。お願いいたします。

そして、もし万が一わたしのようにそそっかしい読者様がいらしたら。絶対に、同じ轍を踏まぬよう。どうかどうか、お気をつけください。

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2006.08.17

当たり前のことに、いまさら気付く。

ぽかっと目が覚めた朝に、ふと思う。
「もしかして、妊娠したのって、ぜんぶ夢だったんじゃないかな」

そっとおなかに手をやって、夢でないことを確かめる。そうだ、胎児はちゃんと成長している。

「もう後戻りはできないんだ」と、そんなときにはいつも考える。このまま無事にいけばわたしは母になり、わたしの人生には一人の子供がいつでもともにあることになる。どちらかが死ぬまで、その状況が変わることはない。

とはいってもこれは諦めや落胆といった負の感情ではない。ただ淡々と、前へ進んでいく自分を感じている。「進んでいく」というより、胎児に「進まされている」といったほうが近いかもしれない。

今朝はちょっと違うことが浮かんだ。
なにも、子供ができたから「後戻りできない」ってわけじゃない。わたしたちはいつだって、どんな状況にあったって、刻々と年をとり、一秒ごとに死に向かっている。わたしたちは、誰もが、いつでも、「後戻りできない」のだ。ただ、平板な日常が、その事実を覆い隠している。変わらぬ暮らしの繰り返しが、「後戻りできるかもしれない」と思いこませているだけだ。

赤ん坊は、「時間の経過」という現実を自らの成長によってわたしに示す。日に日に育つ子に恥ずかしくないよう、わたしも変わっていけるといい。

きょうも、母親の過失で赤ん坊が死んだ。4か月の子を放置して5時間、食事や映画に行っていた30代の母親。彼女は、子供のいなかった時代に「後戻り」したかったのではないか。子供がいてもいなくても、それはほんとうは不可能なことなのに。

わたし自身は、この年まで授からなかったことに、いまとなっては納得している。おかげでこれまで十分、夫とふたりの生活を楽しめた。これからは子供といっしょの暮らしをおおいに楽しむつもりだ。「後戻り」など必要はない。前へ、進もう。

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2006.08.14

最良の日。

パソコンを一度も起動しなかった13日の日曜日。戌の日だったため、浦和の鎮守にお参り。実家の母と妹をうちに招いて食事会を開く。

母から赤ちゃんの靴とガラガラ、妹から胎児の心音を聞くための聴診器をもらった。はじめての、赤ちゃん用品。いま、枕元に腹帯と並べて置いてある。あ、いまはふとんのなかから携帯で更新してるの。

腹帯は、さらしの一枚布。まだうまく巻けないけど、真似事だけして、戌年生まれの夫に「戌」という一文字と日付を書いてもらった。

大好きな家族に祝ってもらって、大切な赤子の無事を祈った日。

どうしよう。こんな日が来るとは思ってなかったから、この時間になってもまだこんこんと、嬉しさが湧いて尽きる気配がない。

枕元の品々に目が行くたび、胸がとくんとなる。ここまで、けっこう、長かった。ずっと支えてくれた人々のことを思う。
わたしは、しあわせです。ありがとう。しあわせな人生を、ありがとう。

うおお。だめだ、しあわせがあふれちゃう。このまま目をつむったら、いーい夢が見られるかな。よし、寝ちゃおう。おやすみなさい。

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2006.08.11

超具体的かつ情熱的な艶夢を見る。

相手が夫だったことがせめてもの救い。妊娠発覚からご無沙汰だからか。そんな夢を見たことが恥ずかしくて、目が覚めてしばらくの間、夫に背中を向けていた。頭のなかで反芻したり余韻を楽しんだりしていたわけでは決して、ない。

タオルケットを頭からかぶってうなりながら、そういえば「食べる夢」では目的が成就しないのはなぜだろう、という疑問に突き当たった。御馳走を前に「よーし食うぞ」と思っていると、必ず邪魔が入る。わたしはこれまでに何度、蟹しゃぶや特上寿司を食べそびれたことだろう。黒装束の怪人に追われてみたり、包丁を振りかざす料理人に襲われてみたり、テーブルがいきなり空へ舞い上がったり。バリエーション豊かにわたしの御馳走は奪われていくのだ。

同じ「本能」の見せる夢なのに、艶めいた夢の場合は、おおむねその目的を完遂する。あ、いや、そんなにたくさん見るわけじゃないんですよほんと。でも、未遂で終わった夢は記憶にない。なんでなんだ?

夫に尋ねてみた。

ねえねえ、食べる夢って、ちゃんと食べられたことある?
「うーん、あんまりそういう夢、見ないかも。覚えてないだけかなあ」
じゃあさ、やっちまえーって夢のとき、最後までできちゃったりする?
「あ、それならあるある。ごくふつうに、やっちゃう」
そういう夢ってさ、気持いい?
「えっ……それ、答えなきゃ、だめ?」

なるほど、だいたい似たような傾向らしい。

いろいろ考えた結果、こんな仮説を立ててとりあえず納得することにした。

「食欲」というのは、ちゃんと満たさなければ生死に関わる重大な欲求である。これを安易に夢で満たすことを覚えてしまうと、わたしは自分のからだを維持できなくなる。じっさいに食べるものよりおいしいものを食べられるのなら、夢のなかに生きるほうがいいじゃないか。そんなことにならないよう、夢のなかの御馳走は食べられないようになっている。

これに比べたら、「性欲」などたいして重要な欲求ではない。さしあたって繁殖の必要がないときには、夢のなかですばらしい快感を味わってしまっても問題はないのだ。むしろ、夢で欲求不満を解消したほうがいいこともある。叶わぬ思いだとか、届かぬ相手なんかの場合。満たされない欲求を現実でいつまでも抱えているよりすっきりするんじゃないか。

あ、でも。
世の中には、夢のなかで暴飲暴食できる幸せな人もいるのかもしれない。そしたらこの仮説は一気にぽしゃっちゃうのね。むーん。

漫画や小説の主人公に憧れて、いいムードにまではなるんだけど、キスの先はどうなるのかわからなくていつもそこで目が覚めた、あのころ。戻りたくはないけれど。ちょっとだけ、しみじみと、なつかしい。

書かねばならぬことは山ほどあるのに、こんな馬鹿なエントリあげてごめんなさい。

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2006.08.09

トリプルマーカー、結果は陰性。

とりあえず、結果のご報告を。

年齢だけでみた場合のダウン症児妊娠の確率……1/239
年齢とトリプルマーカー検査によって算出された確率……1/1576

羊水検査は希望しなかった。

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2006.08.07

すっごいよ、ダイソン。

出産準備品の第一号として、ダイソンの掃除機を買う。

なんで掃除機かといえば、これまで使ってきたシャープの掃除機がなかなか思うように吸ってくれなくなっていたからだ。赤ん坊の環境を、なるべくクリーンに調えたい。畳替えをするか掃除機を買うかの二択をせまると夫は「ダイソンなら……」と掃除機を選んだ。

買ったのはDC08という、大きい機種である。現在主流なのはDC12という日本向けにつくられた小さめの機種。しかしこちらは吸引力にやや難があるとのことで、掃除機フェチの妹からDC08を強くすすめられていた。そしてその妹の特売情報によりこれを39800円で手に入れたのだった。

初めて掃除したときの気分は忘れられそうにない。
うちって、こんなに埃っぽかったの……? 透明のゴミ溜まりには、1回掃除機をかけただけとは思えないほどの綿埃、砂埃がたまっていた。きっとダニなんかもけっこうとれてるに違いない。ああ。気持いいー。

いま、ダイソンDC08は黄色とグレーの玩具みたいなからだを丸めて、しっぽをぴんと立てたねこみたいな格好で、部屋のまん中に鎮座している。掃除機を飾るなんて自分でも笑っちゃうが、うれしいのだからしかたがない。見飽きるまで、こうしておこうと思っている。

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2006.08.04

トリプルマーカー、結果が出るまであと5日。

8月2日、ダウン症*の出生前診断であるトリプルマーカーテストのため、採血を行った。結果が出るのは1週間後。

出生前診断については、何度も記事を書こうとして挫折してきた。それだけ、大きな問題だと思う。このことについて考えるのは、わたしの中の、自分でも知らなかった「差別」と正面から取っ組みあわねばならない難作業だった。

結局、どう書くかということを悩んでいるうちに、この検査に対するわたしの見方がどんどん変わってきた。週数を重ねて次第に大きくなる胎児も、わたしの感情に大きく訴えているように感じる。

いまの気持は、こうだ。

 もしトリプルマーカーで陽性と出ても、羊水検査はしない。
 どんな結果でも、この子を産み、育てたい。

しかし、じっさいにそうなったとき気持がどのように動くかはわからない。想像もしないことにした。夫にはこの決意をまだ話していない。彼はもしかしたら羊水検査を望むかもしれないが、きっと、わたしの決断を支持してくれると信じている。

出生前診断に関するわたしの理解や、ここまでに至る葛藤などについて、これからぽつぽつと書いていく予定だ。きょうのところはとりあえず、トリプルマーカーの結果待ちの段階での決意を文字にしてみた。

*トリプルマーカーでわかるのはダウン症の確率だけではありません。脳や脊髄などの形成異常(神経管形成異常)があるかどうかも推定できます。

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あれも、出た。

出てうれしいものは、12日ぶりの便通。
うれしくないものの筆頭が、今年も出た。
去年の初遭遇は4月だったのに比べると、今年はずいぶん遅くなった。けれど、こんな偶然があってもいいものだろうか、マンション敷地内での目撃は前年とぴったり同じ、7月29日である。

この日、ちょっと贅沢な外食をして夫とふたり、気分良く帰り着いたところだった。敷地内1階の自転車置き場に、奴は出た。なにかをこぼしたような跡が直径15センチほどコンクリートにしみている。奴はその上でぐるぐると回っては、ときどき止まって、なにごとか考えているようなそぶりを見せた。

発見したのはもちろんわたし、そしてそこから一歩も動けなくなったわたしに、夫は「どうする、やっつける?」と聞いてくれた。が、せっかくおいしいものを食べてしあわせな気分なところに、相手はいくらあれといえども殺生をさせるのはどうかと思い、「ううん、きっと誰かが仕留めてくれるよ」というよくわからない理由をつけて断った。

「きょうのところは見逃してやる。ありがたく思え」と念じながら、そちらをなるべく見ないようにしながらものすごい大股で2、3歩を走り、エレベーターに飛び込んだ。

【ID:2006-001】
遭遇日時:06年07月29日 午後10時15分
遭遇場所:マンション敷地内、子供用自転車置き場
推定種別:チャバネ
目測体長:23ミリ
最大接近距離:60センチ
撃退方法:−
死体確認:−

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どうしよう、ココログが調子いい。

わたしがぼけっとサボっている間に、ココログでは大規模なメンテナンスを行っていた。主に夜間、記事の投稿はおろかログインすらできなかった状況が、一気に改善されてしまった。いつアクセスしてもすんなりログインできるこのうれしさ。「本来ならばこのくらい当然のこと」と感じるよりまず喜んでしまうのもどうかと思うが、いやいやほんとにありがたい。

Mac+IE5の環境からのコメント二重投稿問題も、いまのところ起きていない。ついでに直してくれたんだろか。

レスポンスの改善に加え、先日、あらたなアクセス解析が導入された。これがまたずいぶんと詳細にデータをとってくれる。まだちゃんと見切れていないくらい、解析項目は多い。そして見やすい。

どうしたことだ、ココログ。これまでさんざん文句を言いつつ脱出準備も半ばまで進めていたというのに、これでは移転の理由がなくなってしまうではないか。うーん、うれしいのだけど、夢ではないかとちょっと戸惑ってしまう。

いや、こういう言い方はよくないな。批判をしてきた分、きちんと評価をしなければならない。
ココログは、使い勝手のいい、よいブログサービスになった。いまはほとんど不満はない。こまかいことを言えば、まったくないわけではないけれど、支障というわけではもちろん、ない。これなら、友人にも勧めることができる。

ありがとう、スタッフの皆さん。
この状態が続くのなら、これからもお世話になります。
どうか維持してください、こころからお願いします。

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2006.08.02

出た。

あんまりいろいろ試したので、なにが効いたのかわからない。昨日のきょうなので、さすがにオリーブオイルではないだろうとは思う。今朝、溜めこんだ分にはほど遠いが、やっと、すこし、出た。出ましたとも。ありがとうみなさん。

きょうは健診。順調でした。これまでの健診の記録と、きょうの記録と、コメントのお返事と、メールのお返事、すこしお待ちください。ごめんなさい。

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2006.08.01

こんなにひどい便秘は久しぶりだ。

ここ数日、大便を出すことだけを考えて生きていた。誇張ではなく、かなり真実に近い表現である。

きのうなどは、ほとんど1日トイレに住んでいた。
水分が足りないのはよくない、と麦茶ばかりがぶがぶ飲んでいるから、自然トイレが近くなる。もともと頻尿持ちのうえ、内容物の増えつつある子宮と腸が膀胱を圧迫するのか、30〜45分おきに尿意を覚える。尻を出したついでだから、とそのまましばらくいきんでみる。そうして便意の到来を待つのだが、腸はぴくりともしない。そんな繰り返しで、日が暮れた。情けない。

数えはじめてからきょうで10日め、いい加減もう泣きたくなって妹に電話をした。「ねえ、妊娠中って浣腸してもいい?」。わたしとしては、下剤を飲むより浣腸のほうが胎児に影響がないだろうという考えだった。

「ばかっ! ぜーったい、だめっ」
本気で怒られた。浣腸というのは、どうやらからだを総排出モードにするものらしく、腸どころか子宮まで収縮してしまうとのこと。ああ、聞いてよかった。ありがとう妹。大げさでなく、胎児の命の恩人だ。

もちろん、これまで努力をしていないわけではない。きんぴらごぼうやおからの卯の花煮などを大量につくり、せっせと摂取した。ごはんには玄米を30%混ぜている。ヨーグルトも毎朝食べた。納豆がよいと聞いて、妊娠してからあまり好きではなくなった納豆も食べた。母が寒天を送ってくれたのでさっそく食べてみた。水分もたっぷりとっている。やってないのは「運動」だけだ。あ、それがいけないのか?

電話で、妹はあらたな特効薬を教えてくれた。オリーブオイル。大さじ1程度の量を飲んで寝ると、2、3日でするりと出るのだという。これはまだ半信半疑ながら、もうなんにでもすがりたいので今夜から試してみることにした。「油を飲む」ということに慣れていないので、なんだか想像しただけで胸が焼けるがしかたがない。

明日は健診。先生にも相談してみようと思っているが、なんとか明日の朝には少しでも出てくれないと内診がとてもつらいことになりそうで、ものすごくものすごく、いやーな気分である。がんばれ、腸。がんばれ、あたし。

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