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2006.07.28

体力強化の誓い。とか。

久しぶりに都立中央図書館へ調べものに行った。

広尾駅から有栖川宮記念公園に入る。図書館はこの公園の丘のてっぺんにあって、だらだらした広い階段をのぼって行かねばならない。この2か月ほどでめきめき体重の増えたわたしを、白いジーンズの小さなお尻が追いぬいた。わたしが1段あがる間にあちらは1.5段を越えてゆく。

こりゃあ、もっとおなかが大きくなったらもうここへは来られないかもしれない、と遠ざかる白いお尻を見つめながら悲観した。いや、そんなことではいけない。こんなに体力のないことではとても出産に耐えられないだろう。見てろよ、安定期に入ったらばりばり筋トレやってやる。

今年初の蝉の声を聞く。ミンミンゼミとアブラゼミ。まだ、さいたまでは聞いていない。去年馬鹿みたいに大発生していたから、今年は少ないのだろうか。さいたまよりも広尾で季節を感じるこの不思議。

帰り、義母の病院に寄る。ちょうど回診の時間帯にあたって先生の話を聞けた。そろそろ試験外泊を検討してもいいとのこと。73歳にしてこの回復力。すばらしい。

新宿駅で、美人にみとれて柱に激突する。肩をしたたかにぶつけて、それでもなに食わぬ顔で歩き続けた。ここ1年で2番目くらいに恥ずかしかった出来事。正面からあたらなくてよかった。腹の中の人、ごめん。もっと注意深い親になろうな。

PS2のゲーム「かまいたちの夜×3」というのが出たそうだ。

わたしは最初の「かまいたちの夜」がほんとうに好きだったから、「2」が出たときには発売の1か月前からカウントダウンして買った。けれど、あれは、ひどいゲームだった。期待が大きすぎたのかもしれないが、あまりに趣味の悪い怖がらせが続いた挙げ句にあの犯人はないだろう、といまでも恨みに思っている。

今回の「×3」、その「2」の続編なんだそう。もう少し評判を聞いてから、買うかどうか決めようか。ああでもあれは、確実におなかの子に悪い。わたしの知り合いには妊娠中に木曾の山奥の山荘に篭もって「バイオハザード」ばかりやっていた強者がいるが、真似はしないほうがいいかもしれない。

ゲームに続き漫画の話で恐縮ながら、『月館の殺人』の下巻が出た。

新宿駅の本屋で買って、帰りの電車で読み終えた。もう少しひねってあるかと思っていたからちょっとがっかりだ。漫画でミステリっていうのは無理があるのかな。情報が描きこまれすぎて、ひっかかる余地がなかったのかもしれない。漫画としてはこまごまとしたところが面白く、装丁も凝っていて楽しめた。

*メールのお返事、明日書きますごめんなさい。

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2006.07.27

うすうす気付いてはいたけれど、69歳の人から面と向かって言われるとちょっと複雑な気分になる。

御年69の著述業の先生に「わさびさんは、保守的だなあ」と言われた。戦前生まれの人から見てもそんなふうにみえるとは、わたしはどんだけごりごりの保守派なんだ。

いや、じつを言えばそんなたいした話ではない。というか、その先生が、常識から逸脱しすぎているだけなのだ。話題は歌舞伎の話だった。先生は、女形の声色がキモチワルイとおっしゃる。「なんだってあんなにうらっかえしたり伸ばしたりしなくちゃならないんだ」と、思い出すのも嫌そうな顔で吐きすてる。

「や、でも、あれはあれで、仕方ないんじゃないかと思いますよ。男の人が女らしさを強調したら、あんなふうになっちゃうのかもしれません」
「なら女がやればいいじゃないか。芝居に女が出ちゃいけないなんてのは妙な話だ」
「まあ、あの形が成立した当時からの伝統なんでしょうから」
「伝統、ねえ。いいものなら残せばいいだろうけど、あんなキモチワルイもののどこがいいんだかなあ」

で、「わさびさんは、保守的だなあ」とつながった。伝統芸能なんかくそくらえ、と言いたげな戦前生まれ69歳。わたしと先生と、どちらが常識人だろうか。

わたしだって、歌舞伎をそれほど擁護する義理はないんだけど、でも、まあ、世話物なんかはけっこう好きだ。ずいぶんしばらく舞台では見ていないが、学生のころ初めて自分でチケットをとり、ひとりで「お染の七役」を歌舞伎座で見たときの緊張と興奮は忘れられない。

女形の声音については、とくに不自然とも思ってなかった。正確に言えば、はなっから「ああいうもんだ」という頭があるから、疑問を感じたことがないといったところ。だいたいそんなもんじゃなかろうか、日本人の歌舞伎に対する意識って。

そんな話になったのは、「平家物語」の朗読CDがきっかけだった。
最近買ったCDが、どうにもこうにも「キモチワルイ」のだそう。歌舞伎役者が朗読しているもので、女性の口ぶりを歌舞伎風にやるから聞いちゃいられない、とご立腹である。だから、せっかく買ったけど最初の何枚かしか開封していない。棄てるのももったいないから、わさびさん、持ってかないか。というありがたいお言葉だ。

とりあえず何枚かをもらって帰り、さっそくかけてみた。
新潮社の「新潮CD 平家物語」で、嵐圭史という役者さんが読んでいる。

ああ、ほんとだ。これは、ちょっと、いくら「保守的な」わたしでも、なんというか、全29枚を聞くのは躊躇してしまうかもしれない。

上手な俳優さんなんだろうとは思う。けれど、そんなに情感たっぷりに読まなくてもいい。そしてやはり、歌舞伎風の発声と女形っぽい抑揚が、平家物語には合わないように感じる。だって、それまではきりっとした水干姿の白拍子だった祇王が、しゃべりだしたとたんに吉原の遊女になったみたいなんだもの。

歌舞伎でも平家物語を題材にした演目が多くあることは知っている。けれど、お芝居として見るものと、朗読として聞く平家物語とでは、やはり性質が違っていて当然だろう。たぶん、わたしの勝手な思いこみも手伝っているんだろうけど、これは、平家物語じゃあない。もっと、きりりとしていて欲しいのだ。

その点、キングレコードの「朗読CD 平家物語」は良かった。少しまえにちらりと聞いただけなのだが、だんぜん、こちらのほうがいい。朗読は平幹二朗。過剰な演技はほとんどないのに、声の迫力で聞かせる。緩急もちょうどいい感じ。ただ、有名な場面だけに絞っているので、枚数は5枚しかない。全巻を聞くことができないのだ。

まあ、文句を言いながらも貧乏性のわたしは、嵐圭史版を意地でぜんぶ聞いてしまうのだろうと思う。そのうち慣れるかもしれないし。胎教にいいのかどうかは、よくわからない。モーツァルトとかと交互に聞いたほうが、いいんだろうか。かえって混乱させてしまいそうで、まあ、いっか。ぼちぼちってとこで。

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2006.07.26

妊婦のデカパン。

つわりがいわゆる「食べつわり」だったため、妊娠14週にしてすでに3kg増の、やややばめの妊婦である。

「食べつわり」とは——
空腹になると気分が悪くなるタイプのつわり。食べ物の匂いで「うっ」となって吐いてしまうようなタイプは「吐きつわり」という。わたしの場合は、空腹への恐怖が強くなり、常におなかになにかを入れておかねばという強迫観念にとりつかれ、1日にだいたい5食強の食事をしていた。太らないはずがない。

先日ボイン自慢をした。たしかに乳は張ってもいるが、じつのところは脂肪も増えているのである。こんなのは女体の神秘でもなんでもない、ただのでぶだ。

もちろん、おなかも相応に出る。ついでにしつこい便秘も抱えているから、だらけているとすでに中期の妊婦に見える。このごろ仰向けに寝てへその下をなでると、丸い臓器が手にあたる。もしやこれは子宮ではないかと一瞬喜んだが、たぶんかなりの確率でそれは腸である。すまないね、中の人。うんこと間違えちゃったよ。

そんな腹を抱えているものだから、そろそろマタニティ用の下着を買う気になった。ちっこいふつうのパンツだと、おなかに食い込んで、なんだか段々腹になりそうな気がしてきたんだもん。(「もん」とか言ってる場合じゃないよ)

無印良品で「マタニティ下着ファーストセット」というのを安売りしていたのでほくほくとカゴに入れる。パンツ、ブラジャー、キャミソールの3点、「季節の品のお買い得」価格で1900円だった。ふふん。

さてうちに帰り、さっそくグレーの水玉パンツを広げてみた。
そしてわたしは、ニンシンというものを舐めていた自分を知った。

でかいんである。とにかく、馬鹿みたいに布地が多い。くるくると丸めてあったものを広げるのにすこし手間取ったほど、大きい。

Dekapan

水色が、マタニティパンツ。比較のため、ふつうのパンツをピンク色で示す。これほどのパンツ、これまで見たこともなく、存在を想像したこともなかった。わたしが思っていたのは、小学生の頃はいていた、なつかしのグンゼ白パンツみたいなもの。「おなかとおしりをすっぽり包む」と言われて思い描いたのはそれが限界だった。まさか、この大きさとは……!

きょう。わたしは朝からこのパンツをはいている。
ウエストゴムは、へそ上6センチまで来た。たしかに、「おなかとおしりをすっぽり包む」この安心感はすばらしい。けれど、まだちょっと、早かったのかな。全体的にゆるゆる、よれよれという感じが否めない。

このパンツがぴったりになるまで、おなかは成長し続けるのだな。と、まあ、ある種の感慨を抱いたのだった。これから妊婦さんを見かけるたび、わたしはきっとパンツのことを想像してしまう。あの人も、この人も、あーんなパンツはいてるんだわ。ふふ。みんなデカパン仲間なのね。

うん。やっぱりすごいぞ、ニンシンってやつは。

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2006.07.24

孝行息子。

義母が入院してから3週間、夫の親孝行ぶりには驚いた。

義母は義妹といっしょに車で30分ほどの距離に住んでいる。ふだんは月に1、2度その近所に散髪や買い物に行くついでに顔を見る程度の、わりとドライなつきあいをしていたのだが、ここにきて週に4、5日は見舞いに行っている。土日はもちろんのこと、平日も立ち回り先からちょっと寄り道したり、残業を早めに切り上げて帰りに寄ったり、とまめまめしい。

男の子の母親孝行というものを、わたしはこれまでかなり警戒していた。というのも、わたしの父が祖母べったりの男だったからだ。母は、なによりも親孝行を優先する父に従いながら、ずいぶんと理不尽な苦労をしてわたしたち姉妹を育ててくれた。少ない給料の半分近くを姑に送金していたため、幼いころの夕飯のおかずは3人家族に紅鮭1切れ、納豆1パックという貧乏さだった。既製服はほとんど着たことがなく、母の手作りの服でわたしは育った。創意工夫でなんとかしのいでいた母を祖母はそれでも気に入らず、ずいぶんとひどい仕打ちをしたという。そんな母をついに一度も正当に評価することなく、父は突然逝ってしまった。その後は祖母と縁が切れているのもしかたないと思う。いま、祖母が生きているのか死んでいるのかもわたしは知らないのである。

だから、夫と結婚するときにわたしは、義母との関係を注意深く観察した。結果、ほどよい距離をとり、でも気持は通じ合っているというなかなかに理想的なつき合い方をしていることがわかって、心底ほっとしたものだった。

手術の終了を待つ間、義妹がこっそり教えてくれた。夫は15年前に父を亡くしている。まだ大丈夫だろうと思っていたのに、急に容態が悪くなった。十分なことができずに送らねばならなかったことを、息子は深く後悔したのだろう。その分、母にはできる限りのことをしたい。「そう思ってるんじゃないかな、お兄ちゃんは」。

うん。その気持は、ものすごくよく伝わってきた。わたしも、夫の親孝行を全力で支えたい。わたしは義母の人柄が大好きなのだ。慎み深くおっとりとしているが、自分の意見はしっかり持っている。けれどそれを他人に押しつけることはしない。息子夫婦との距離も大切にし、自分の生活や趣味をおろそかにしない。

手術後、ひとりで見舞いに行っていたときのこと。「きょうもSさん(夫の名前)、仕事が早く終わったら来るそうですよ」と話しかけると義母は、「あの子は、やさしい子だから……」とつぶやいて目を閉じた。「お義母さんが育てた息子だからですよ」という、ちょっと恥ずかしいセリフは心の中にしまったまま、わたしは義母の左手をちょっと強く握ってみた。

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義母の脳腫瘍摘出手術。

義母の脳腫瘍の手術の記録である。病院名や詳しい診断、日々の様子などについては省く。大まかな流れと、それにともないわたしが感じたことを中心に書いていく。

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6月の末日、夫がつとめて平静を装いながらもあまり明るくない声で、義母に脳腫瘍が見つかったことを告げた。5日後、都内の大学病院に入院。その10日後には、7時間以上にも及ぶ大手術で腫瘍を摘出した。

右の大脳皮質の底の部分、視神経のごく近くに、2センチ大の腫瘍があった。CTの写真にも、くっきりと、それが写っていた。素人目にもこれはまったく異物であるなとわかるほどで、教科書や医学書の説明写真みたいだ、と思った。

義母は73歳。小柄なからだで、友人と連れだってよく旅行に出かける活発な人だが、持病は高血圧だの甲状腺の腫瘍だのといろいろあった。だからこそ些細な体調の変化にも敏感であったのだが、今回の腫瘍の発見にもその繊細さが役に立った。

脳腫瘍の主症状は起き抜けの頭痛だそうだが、義母の場合それはほとんどなく、肩の凝りと歯痛がひどくて脳神経外科に行ったのだという。そんな脈絡のない症状でよくまあどんぴしゃりと当該診療科にあたったものだと思うが、なんでもみのもんたのおかげらしい。たまたま見ていた番組で、そんな情報をやっていた。不安になって脳神経外科を探し、誰にも内緒でこっそり訪ね、写真を撮ったらそんな次第でびっくりし、家族が呼び出されて入院と相成った。わたしはあの手の健康番組は好きではないが、こうして実際に役に立つこともあるということは、どうやら認めざるを得ない。

早期発見はお手柄であったが、いざ入院してからの義母は、いつもより余計に小さく見えた。「頭蓋骨を開いて脳を露出し、腫瘍を摘出する」だなんて大手術を前に、誰が落ち着いてなどいられようか。気持が萎んで、いまにも泣き出しそうな顔を見ると、命に関わる大病をしたことのないわたしはなんと声をかければいいのかわからなくて、ただつまらない世間話に終始してしまった。

頭蓋骨のどこからも一番遠い位置にある腫瘍であり、しかも原因ははっきりとはわからないが腫瘍の大きさに比べて脳全体の腫れが著しいという所見もあって、手術前の検査は慎重に行われた。その過程でこんどは2個所の動脈瘤まで発見された。

手術の前日になると、ベッドの上にちょこんと座る義母のもとに入れ替わり立ち替わり、いろんな話をしに関係者がやってくる。手術室のナース、麻酔医、執刀医、病棟のナース、病棟での担当医。ついでに研修中の看護士と医師までついてきた。それぞれが、自分の持ち場で行われることの手順の説明や、何度も確認したはずの血液型や既往症などについて念のための確認をする。

なるほど医療ミスを防ぐための大切なプロセスであるな、とわたしは感心して見ているのだが、義母にしてみれば1人やってくるごとに緊張が2割増ほどになるらしく、すべての説明が終わったころにはもうぐったりしてしまった。

説明を聞きながら義母は、途中途中で「でもね、いまはぜんぜん頭も痛くないの」「どうしても切らなきゃいけないのかしらね」と、たぶん本人も無駄だとわかっている訴えを、でも言わずにはいられない。話を遮られながらも、みな辛抱強く説明してくれた。

わたしはほとんど病院に縁がなかったため他と比較のしようがないのだが、この病院はなかなか感じがいいようだ。医師も看護婦も、じっくり時間をかけて患者の話を聞く。話すときにはしっかりはっきり、尋ね返せば何度でも、嫌な顔をせずに話してくれる。最初に義母の診断をしたのは教授先生だったが、この人も30分以上かけて丁寧に解説をしてくれた。大学病院というものにもっと冷たい印象をもっていたのだが、まるきり違っていた。この病院が特別にすばらしいのか、それとも最近の傾向としてどこもこうなっているのかはわからない。

手術の日、義妹(とは言ってもわたしよりも年上なのだが)とその娘が手術開始前から病院に詰め、地元の病院で妊婦検診の予約があったわたしは午後からそれに付き添った。夕方には仕事を早引けした夫もやってきて、6時近くには手術結果を担当医から揃って聞くことができた。

腫瘍は、他の組織への癒着がほとんどなく、摘出は非常にスムースに終わったという。風船の空気口をちょんと切るようなイメージだ。しかし、右の脳を持ち上げる際、脳へのダメージを減らす為に静脈を2本切断した。また、腫れている脳全体を動かさざるを得なかったため、これらのことが今後どのような影響を及ぼすかはわからない。2個所あった動脈瘤のうち、今回の手術範囲にあった1個所だけはクリッピングの処置をした。もうひとつは左の脳にあるため、未着手。若干、左半身に麻痺が残る可能性があるが、大きなダメージはないと見ている、等々。

ナースステーションのすぐ向かいにある観察室に戻ってきた義母は、まだ麻酔から覚めきっていないらしかった。大声をかけるとぴくりと目を開けるが、反射的な反応のようにも見える。しかしそれにしても。ついさっきまで、この人の脳味噌は剥き出しの状態だったんだ……と思うと、人間の生きる力やら医療の力やらに圧倒される。

きょうで術後10日。その後の回復は順調である。きのうは入浴もし、髪も洗ってもらったという。抜糸が済んでいるのだ。自分でスプーンを使って全粥を完食し、支えを使って自力でトイレにも行く。顔の右側がまだ少し腫れていて目が開きにくいが、しゃべる言葉もしっかりしているし、心配していた麻痺も残らなかった。現在、脳の腫れをとるための薬を日に何本か点滴しているらしい。それが治れば、あとは体力を戻すだけだ。すでにリハビリ室にも通っているとのこと。動脈瘤の心配は残るが、ひとまずは、めでたいことである。

*文中、「看護婦」と書きました。もちろん差別目的で書いたものではありません。「看護師」という言いかえに疑問をもっているので敢えて旧来の表現を用いています。この病院には「看護士」もたくさんいて、なるほど「看護師」という性別のない言葉も便利だなあとは思いました。

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2006.07.23

おっぱいがいっぱい。

さぼっていた間のからだの変化については別にまとめた記事を立てるつもりだが、いちばんびっくりしたことを先に書いておく。乳について。タイトルがくだらないのは許してください。

現在13週、まだ4か月に入ったところだが、すでにほれぼれするほどの見事な乳に育っている。20代のころの張りを取り戻し、かつ熟女めいた貫禄もついているので、これまでにない無敵さである。

問題は乳頭で、もともときれいなピンク色というわけではなかったのが、どうもこう、「使いこんだ」という形容がぴったりになってきた。しかもなにやらいろいろ活発になっているらしく、ちょっと気を抜くとすぐに先端に垢のようなものが溜まる。ややっと焦ってこすり落とすと、今度はやたらとヒリヒリ痛む。Tシャツにあたるだけでもこすれて痛い。つまらない方向に敏感になっている。

ああ、わたしったら哺乳類なんだなあ、と実感しながらシャワーを浴びていた昨夜、妙なものを発見した。左の脇の近くに、虫さされのような、赤い、2ミリほどのぽっちができている。へそと肩の先を結んだ線の上、というところ。痒くもないし、だいたいこんなところ虫になんか刺されないだろ……と思い、ふと右胸を見ると、線対称の位置に同じものが。

ああこれは噂に聞く副乳だ。
とすぐに気がついた。詳しい説明はめんどくさいが、有り体にいえば、もうひと組のおっぱいが、できちゃったんである。わたしは、4つの乳首を持つ女。ますます哺乳類らしくなってきた。

珍しい現象ではないらしい。もっと発達して、ちゃんと乳腺ができてお乳がでる人もいるそうだが、多くはこういうぽっちが目立つくらいで済むという。妊娠とともに現れて、授乳時期が終わると消えるというのが多いようである。わたしのはこれからどうなるんだろう。不安でもあり、ちょっと楽しみでもある。

悔しいのは、こちらの色が可愛らしいピンク色であることだ。(いまのところ)役立たずのくせに、本家よりもきれいな色をしている。や、赤ちゃんにとっては色などどうでもいいんだろうが、自分の持ち物としてはやはり美醜も気になるじゃないか。

いや、こんなことを言っていられるのもいまのうちで、どす茶色でも桃色でも「よく出る乳がいいお乳」ということに気付かされる日はおそらくすぐにやってくる。もともとプロラクチンの高め傾向だったわたしである。妊娠しにくかった代わりに、せめていいお乳がたくさん出てくれることを祈りながら、今夜も痛む乳を揉みほぐしてから眠りにつく。

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2006.07.22

初恋の人。

ブログをさぼっていた間の通院記録や不妊治療の総括など、書かねばならないことがたくさんあるというのに、わたしときたら大事なことほど後回しにする悪い癖がある。

苗字の話だ。
珍しい苗字が好きなわたしは、ふと、思い出した。
そういえば初恋の人、Yの苗字は珍しいほうなんじゃないか。

さっそくいつもお世話になっているSUZAKIさんの苗字検索で調べる。やはり、2桁台だった。ちなみにわたしの苗字は6桁台だ、ていうか全国一多い苗字だこんちくしょうめ。

なるほど、としばらくその苗字を眺めている間に下の名前も思い出した。ついふらふらとGoogleでフルネームを検索する気になった。ま、ふつうはこれで本人どんぴしゃ、ってことはないんである。どうせ見つからないよ、と思いながら「google検索」をクリックする。

わたしとかれとは、アルバイトと社員の関係だった。出会ったのは19歳のとき。初恋だった。馬鹿みたいに楽しい時期がほんの少しだけあって、すぐにつまらない別れ方をした。その後10年間、わたしは煙草を吸った。同い年。高卒で働いていたかれは、でも、ずいぶん大人に見えた。いろんなことを教えてくれた人だけど、見えない鎖でずっとわたしを縛り続けた人でもある。夫と結婚して、ようやくそれがほどけてきたような気がしている。

あっ……あった。検索結果 約13件。

まさかヒットするとは思わなかった。この珍しい苗字の同姓同名。年齢、ぴったり。居住地は、話に聞いていたかれの郷里である。これは、間違いなく、本人だ。

どうしてそんな個人情報がわかったかといえば、とある競技の記録会のページだったからだ。あまりに意外な検索結果に、しばらく茫然とその名前を見つめた。

「第○回△△車椅子マラソン大会」。なかなかの好成績を残していた。
わたしの知るYは、スポーツなんて健全な世界の人ではなかった。白いロングコートがよく似合う優男だった。かつては多少やんちゃなバイク乗りだったと聞いていた。いつ、あの足は動かなくなったのだろう。事故だろうか、病気だろうか。誰が、かれをなぐさめたのか。どんな人が、かれに陸上競技の道を示したのか。

ほんの一瞬交叉したふたりの道が離ればなれになってから、そろそろ17年経つ。インターネットなんてものがなかった時代に別れたかれの名を、こんなふうに見ることになろうとは思ってもみなかった。これだけ情報が出ていれば、どこかの団体気付で手紙を送ればかれの手元に届くだろう。

ちらっと、応援のメッセージを送ろうかと考えた。けれど、やめた。このまま、心のなかだけで、声援を贈ろう。だって、いまのかれは、わたしの知っているかれではない。こんなに前向きにひたむきに生きる人じゃあなかったんだ、昔は。大人びて見えても、まだまだひよっこだったんだな。

わたしだって、もうあのころのわたしじゃない。だから、思い出は思い出として、大切にしまっておくほうがいい。

いつかYがパラリンピックに出るようなことがあったら……うーん、それは、ないかな。どうなんだろ。もし10年後のオリンピックが東京で開催されたら、そのときかれは46歳かあ……無理かなあ。無理だろうなあ。でも、もし、万が一、そんなことがあったら、子供といっしょに、必ず応援に行こう。あれが、お母さんの初恋の人だよ、ってこっそり教えてやろう。うん。

過去のことはちょっと切ないけど、未来のことは、ずっと楽しい。
そんなことに気付いた今日。

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ご心配をおかけしました。申し訳ありません。

長らくのご無沙汰、申し訳ありませんでした。
コメントをいただきながら、1か月以上もお返事しないままなんと無礼をしたことか、ほんとうに申し訳なく、お詫び申し上げます。

また、多くの方からメールでお励ましをいただきました。ありがとうございます。お返事、遅くなりましたが皆様へ先ほどお送りしましたので、どうかご覧くださいまし。ほんとうに、ありがとうございます。

さて、言い訳と近況を、少し。

どうもパソコンに向かう気力がなかった理由は以下の3つ。

1.つわりが思ったより強く出た。
2.姑が脳の手術で入院してしまった。
3.ネット上の人間関係でちょっとしたトラブルにあった。

そんなこんなで、2日のうちに6時間ほどしかまともに活動できず、なさけない1か月でございました。現在は妊娠13週、母子ともに元気です。おかげさまでございます。

うだうだしている間に、ワールドカップが終わっちゃったり、ナカタが引退を宣言したり、ミサイルが降ってきたり、民団と総聯が再び反目したり、首相が外国で歌ったり躍ったりして、世の中はなかなか忙しそうだった。わたしのほうは、不妊治療のクリニックを卒業したり、産院を選んだり、出生前検査について悩んだり、ブックフェアに行きそびれたりしながら、ブログをさぼっていたわけだ。うむ、このままではあっという間におばあさんになりそうだ。いかんな。

いつまで逃げていてもしかたない。
もういちど、ちゃんとブログ、続けてみよう。

どうかみなさま、これからもよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

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